●この第4章は「知識と行いの放棄」が話題になります。

●人はこのモークシャと呼ばれる自由を得るために、行いを道具として使わなければなりません。そのとき、行いはヨーガとなり、つまり、カルマ・ヨーガとなり考えを整える道具となります。モークシャをかなえる知識は、カルマ・ヨーガによって整った考えにだけ理解されるのです。行いを道具とするとは、家庭や社会での役割義務を成熟のための道具とするという意味です。

●アルジュナの場合は、一国の王子が役割でした。アルジュナは、王子の役割を放棄して森にこもり、先生からヴェーダーンタを学んで知識を得たいと思いました。しかしそれは、アルジュナにはふさわしくありませんでした。アルジュナだけでなく、人は家庭や社会での役割に正しく没頭することによってのみ、自由を意味する知識を得る準備が整います。

●ヴェーダーンタの言葉は、カルマ・ヨーガによって成熟した考えにのみ働き知識をもたらします。ですから知識による自由が本当の意味での「行いの放棄、サンニャーサ」なのです。モークシャと呼ばれる自由は、単に役割を放棄することではかないません。こうして、4章の話題は「知識と行いの放棄」です。


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